我々の知らない桑原君 |
桑原君が卒業した 小石川高校
E組のホームページに、
山のこと等を、投稿していると、聞いていました。
彼が亡くなったので、あらためて、彼の投稿を 読ませて
貰いました。
じっくりみると、彼の日記のようにも思え、我々の知らなかった
/気づかなかった 一面も発見でき、また彼の
生き様のようにも 感じました。
その中で、いくつかの投稿を、ここに転記させて頂き、我々が
知らなかった 彼の足跡をたどってみたいと、思います。
・・・青字が、投稿文です。日時は、投稿日時です。
(かなり長いです。 じっくりと お読み下さい。)
=======================
・1997年 12月26日(木)11時10分53秒
(この頃から、彼/48歳 の投稿が始まっていました。)
E組の皆さん、お久しぶりです。
現在、私はカシオ計算機にて、電卓や電子 手帳等の品質保証(ソフト)
を やっています。
トラブル発生時は、ストレス が溜まる毎日です。
住まいは、東京の西のはずれの羽村市です。
近くに 来る機会がありましたら、ぜひご連絡下さい。
今年は、台湾に3回、香港に1カ月出張しました。
もし、台湾や香港に行か れる方がいましたら、見所、飲み所など、お教えします。
因みに、台北の 店には、私の名前でボトルが入ってます。
では、皆さんもお元気で、よいお年を!
トラブルは、ストレスが溜まりますよね・・・
この頃は、台湾にも ボトル入れていたんですね。
・2002年 10月30日(水)01時02分57秒
(この年は、クラス会の幹事をやったそうです。)
前文は、台湾旅行でクラス会に出席出来ない友人の
プライベートなことが書いてあったので、省略しました。
・・・ しかし、台湾旅行羨ましいですね。
2年前に子会社出向から戻って以来、あんなに在った海外出張が1度も無く、
寂しい限りです。
台北の林森北路のスナックに入れたボトルも、ロサンゼルスのカラオケバー
に入れたボトルも、もう無くなっている事でしょう。
でも、当時お友達になった人(♀)から誕生日に、 バースデーカードとメールが
届くのが、せめてもの救いですかね〜。
しかし、最近仕事は少ないけど(グスン!)、飲み会がやたら多いんですよね。
10/25 大学のワンゲル部の友達と。(下に書いた飲み会)
10/31 11/09の芋煮会の幹事会(と言っても要は飲み会かな?)
11/02 E組クラス会
11/05 良く行くスナックのママさんの誕生パーティー
11/07 合コン (この年になって初めての合コンです)
11/09 会社の飲み仲間と、秋川渓谷で芋煮会
11/下旬 町内会のOB会の忘年会 体と、財布とどちらが先に
ダウンするかな〜?という状況です。
(笑) 皆さんも、飲みすぎにはご注意を!
・2002年 11月9日(土)01時09分21秒
(高校時代のあだ名や、心浪同を紹介していました。)
11月2日のクラス会は、久しぶりにE組の皆さんに会えて、楽しかったです。
H氏から、出張帰りが遅く なり、2次会に出れなかったのが残念との事です。
H氏のメールに”シンメイさん”と書かれており、 そう言えばE組時代彼に
よくそう呼ばれていたなぁ〜と、思い出しました。
2次会の場所は、Nさんのお世話になり、有難うございました。
やはり、K氏と言い、私と言い、多摩地域 の幹事ですと、都心はチョット苦手かなぁ〜。
おまけに2次会で幹事二人とも、先に帰っちゃうし・・・。
後は、O氏にお任せしましたが、有難うございました。
でも、風紀委員のKさんの話ですと、2次会も最後まで、上品な雰囲気だったとかで、
メデタシメデタシかな?
まぁ、これに懲りず、来年のクラス会も皆さん、出席お願いします。
次回は、いきなりぶっつけ本番の試験でなく、 事前の下見など予習・復習をして
クラス会やりますので。
でも、高校時代から予習・復習苦手だったから、 私では無理かな〜?
下のH氏の書き込みで、花見の宴とか書かれていますので、ちょっと会社の飲み会の
話でも。
「心情的浪花節主義者同盟」と言う飲み会がありまして、と言っても ○○同盟とか
政治団体じゃなく、昔の 開発本部のオジサン達の飲み会ですが。
1月……和服着用で高尾山へ初詣。
春……狭山湖で花見。
夏……伊豆半島へ海水浴。
秋……月見酒。
冬……雪見酒。
その他に、6月にあじさい祭とか、11月に芋煮会とか、お酒を飲む機会には恵まれて
おります。
さすがに皆さんもう年なので、海水浴とかは行かなくなりましたが・・・。
また定年の方もいて、人数が 減る一方です。
私は、この飲み会では、若手?なので入社以来29年間、幹事をやっております。
・・・トホホ!
H氏よりの、飲み過ぎ注意のアドバイス有難うございます。
血圧高いし、そろそろお酒も止めないとネ・・・。
明日は、秋川渓谷で芋煮会です。
最近、山に登っていないので、山の道具使うのもこんな時しか無くなって来たのが、
ちょっと寂しい気もします。
・2003年 1月18日(土)01時49分11秒
(この年は、一人で過ごした正月だったようです。)
新年初めてですので、ふるふるさんを見習って、あけましておめでとうございます。
年賀状ありがとうございました。
年末、年始は皆様いかがお過ごしだったでしょうか?
私は、寂しい年末でした。
大晦日、カミさん仕事でいないし、長女はスキーへ行ってるし、次女は友達と初詣
行っていないし、家に一人でした。
一人で家にいてもしょうがないので、 近くの居酒屋でカウントダウンしました。
おまけに、元旦の朝は、コンビニのおにぎりだし。 トホホホ!
新年の飲み初めで、三日に行きつけのスナック行ったら、お客さん同士で喧嘩して
修羅場に なっちゃうし、なんか暗〜い年になりそうです。
良いことと言えば、年末にPCを買いました。
2台目のノートPCで、P社製です。
次女が今年留学するので、このPCを持たせてメールを やり取りしようと思って
います。
1台目を2年前に買ったのですが、PCの技術の進歩に、 改めて驚かされました。
新しいPCの方が、軽いし(1Kg!)、ディスク容量4倍だし、 速いし。
ただ、Windows XPで使いにくいところがあって、カーソルを暫く置いておくと、
その項目が選択されてしまうみたいなのが、ちょっと気がかりです。
このメッセージも新しいPCで書いています。
実は、PCの出始めの頃(’82年頃)、私も会社でPCの開発に携わっていました。
昔話をしてもしょうがないのですが、当時は8インチのFDDで容量は 350KB、
CPUクロックは10MHz、OSはMS/DOS 2.11。
勿論、マウスなんか無いので、 全部DOSコマンドをキーから打つという、今から
考えると信じられないPCでしたね。
ただ、あの頃の方が、情熱を持って開発に取り組んでいたような・・・。
若かったから?
ついでに、PCで衝撃を受けたのが、一昨年、研究発表で藤沢にある K大へ行った
時、 学生が一人一人皆PCを持って使っている光景を見た時に、衝撃を受けました。
我々が学生の頃は、大学に1台しかコンピュータが無い時代で、学生一人一人が
PCを 持ってる時代じゃなかったので。
古い人間になってしまいましたかね〜?
K氏からの写真UPされていましたね。 K氏、Yさんご苦労様です。
私が撮った写真は、出席者分をプリントしたのですが、さぼっていて皆様にまだ
発送していません。
切手や封筒まで用意したので、もうすぐ送りたいと思います。(^.^;;)
昨年のE組クラス会の後、中学校の同期会を開きたいと考えていまして、今名簿を
作っています。
何とか今年中には、中学の同期会を開きたいものですが・・・。
・2003年 8月24日(日)20時45分33秒
(キリマンジャロの話が出てきました。)
ヒゲ親爺の桑原です。 K氏は北八ガ岳行ったんですね。
北八ヶ岳は、静かな雰囲気で、私も好きな山の 一つです。
さて、私は今年が勤続30年なので、一念発起して、年末にリフレッシュ休暇
を取り、 キリマンジャロへ行こうと思っています。
キリマンジャロと言ってもコーヒーでは ないので、念の為。 (^.^)v
アフリカ大陸の最高峰、5895mの頂を目指します。
今の所、大学のワンゲル部 の友達と親爺二人組ですが。
12月20日頃から、二週間の予定です。 高所順化を兼ねて、最近富士山に
行って、トレーニングを積んでいます。
我が家にホームステイしている米国高校生を連れて、7月に河口湖口から1回。
夏休みに、雨と風の中を、単独で富士宮口から1回。 この時、須走口からも
行った のですが、8合目で断念。
昨日、再び須走口から1回。
この夏、ルートを変え、 計3回富士山に登って来ました。
私のコースタイムでは、
富士宮口(4時間30分) <河口湖口(5時間30分)<須走口(6時間30分)
でした。
須走口は疲れた〜。
昨日は、明け方須走口に着いたのですが、暗夜の中に小屋の明かりが点々とする
富士山が見え、星が消えた空には、やや赤色の火星が見え感動しました。
9月にも、あと2回位行こうと思っていますが。
K氏へ>
5合目まで車で行き、5合目辺りの山小屋で、一升瓶を枕にでもしますか?
秋田屋連れてってください! 先日、新橋へ出張した折、秋田屋を探しましたが、
見当たらず、 ガード下の○○屋(忘れました)で一杯飲んで来ました。
以前のmassageを見ると、浜松町 だったんですね〜。 以前、ふるふる氏が書いて
ましたが、ガード下の飲み屋にあちこち 行ってみたいですね。
・2003年 9月15日(月)16時48分09秒
(富士山登山は、彼にとっては トレーニング でした。)
またまた、ヒゲ親爺の桑原です。
馬鹿と何とかは、高い所に登るの例え通り、13日に再び須走口から、強風の 富士山
に登って来ました。
この夏4回目の登頂です。
台風の影響か、7合目から小雨と小石交じりの強風に苦しめられての登山でした。
殆どの山小屋は閉まっていて、特に山頂の山小屋は全部閉まっていました。
頂上は風が強く、1回目風で飛ばされた時は、石垣の石にしがみつき、2回目
飛ばされた時は、小屋の丸太にしがみつきました。
他に人もいず、危ないので、 すぐ下山しました。
7〜8月の登山シーズンが過ぎると、富士山も静かな山になりますね。
天気が 悪かったせいか人が少なく、午後からは小雨もやんで、景色もそれなりに楽しむ
事ができました。
次に富士山行くのは、11月に5合目で耐寒訓練に行く予定。
10月と11月の3連休は、雲取山の石尾根に行き、長時間行動するトレーニング を
して来ます。
この夏、富士山へトレーニングに行って、課題も幾つか出てきたので、クリアして
行きたいと思っています。
・2003年 11月27日(木)22時59分54秒
(この頃から、「おやじのみかい」が出てきます。)
K氏の調整手腕によりまして、「おやじのみかい」は、 12月2日(火)に変更に
なりました。
会場と集合時刻は 変更ありません。
尚、清龍は他に池袋東店とか池袋南店 とかも在るみたいなので、お間違え
ないように。
K氏が、北海道、大分とあちこち飛び回っていますので、 私めが、代わりに
記入しました。
I氏にも会えるの 期待してま〜す。 では、12月2日に。
・2004年 1月18日(日)20時31分47秒
(キリマンジャロの報告が書いてありました。)
もう2004年も18日ですね。
Nさんの息子さん、ふるふるさんの娘さんも成人式ですか。
おめでとうございます。
そう言う我が家も、下の娘が成人式でした。
昨年、12月21日からアフリカ キリマンジャロ山へ行き、大晦日に除夜の鐘を
聞きながら、無事帰って来ました。
登山開始4日目に、頂上アタック開始し、 何とか、5895mの頂上(Uhuru Peak)
へ登ることが出来ました。
寝不足と高山病で、 非常に苦しい山行でしたが。 頂上からの眺めは素晴らしく、
遥か彼方まで雲海が見え、氷河(キリマンジャロの雪) と隣のマウェンジ峰(5150m)
が足元に見えました。
ヘミングウェイが書いた、豹の 死骸はありませんでしたが。
地上で地平線が見え、地球の丸さを実感できたのは、アフリカ大陸が最初です。
とにかく、アフリカは広かった!!!また、チャンスがあれば、アフリカへ
行きたいものです。
・2004年 6月24日(木)23時40分16秒
(彼の定番となりつつある 山とお酒の話題です。)
文ちゃんのメッセージにありますように、雲取山登ってきました。
これが梅雨空なの?と言うほどのいい天気で、山頂からは富士山、南アルプス、
八ヶ岳などが見渡せました。
三条の湯もいい雰囲気の出湯で、風呂上りには、沢水で冷やしたビールと、
文ちゃん持参の泡盛「久米仙」が美味く、豆腐ようという沖縄のつまみが合い、
お酒が進みました。
日本酒は地元の「多満自慢」。
山小屋なので、8時半にはお開きにしましたが、どうやって布団にもぐり 込んだ
のか・・・。 それにしても、3人でよく飲んだよね〜。
オヤジの格言「酒を飲むのは時間の無駄。酒を飲まないのは人生の無駄」 を
文ちゃんから聞き、妙に納得。
次回オヤジノミ会は、法師温泉とか。 ぜひ皆さんもご参加を。
・2005年 1月10日(月)12時14分36秒
(この正月は、にぎやかだったようですね。
行きつけの お店情報も・・・)
2005年最初の書き込みです。
新年おめでとうございます。
昨年は、友人の事故死、 台風、地震、津波……と大変な事が続きました。
おまけに、大晦日には雪が積もるし。
2005年はよい年になってほしいものです。
皆さんからの年賀状、有難うございました。
ふるふる氏からの年賀状に書いてあった 赤羽「米山」のつくねを、今度試して
みますね。
関西ミニクラス会で集まったとの事、「おやじのみ会」も見習わねば。
確かに、「おやじのみ会」は、昨夏以降停滞気味ですな。
文ちゃん、ふるふる氏、 「なんでや」行って見ますか? 皆さんもご一緒に。
しかし、「おやじのみ会」の個人部門は、結構活発に活動(?)しています。
昨秋、新橋への出張の際、予め調べておいた新橋の立ち飲み屋「吟」と「魚金」
へ行きました。
他に「高木酒店」という普通の酒屋の店先で飲む立飲み屋も 行ったのですが、
早い時間のせいか誰も飲んでいず、流石に入りづらくてパス してしまいました。
地元では、最近福生の赤線街の店を開拓しています。
酒悦処「みづほ」は 明るいママさんで、お客はおじさんのみで、店はおじさんの
サンクチュアリ。
バー「BAGUS」は、イケメンのマスターに、テキーラの飲み方を教わりました。
店は、イケメンのテキーラと言った所でしょうか。 ラテンバー「la HABANA」は、
店の人もお客さんも南米の人で、スペイン語か英語しか通じなくて、日本語は
通じません。
ディスコクラブなので、壁面が鏡張りになっており、壁に向かって椅子と テーブル
があり、鏡に写った自分の顔を見ながら飲むのも一興かと。
店は、異次元ワールドです。
さて、皆さんは、どういった年末を過ごされたでしょうか?
私は、一時帰国の娘二人とそのボーイフレンド(米国人)が居て、家族4人と
ホームステイ1人の、賑やかな年末と正月でした。
大晦日の夜は、積もった雪を 踏みしめながら、一人で近くの居酒屋へ行き、
日本酒を飲みながら年越しソバを 食べ、居酒屋での年越しをしました。
肩越しの その先にある 懐手。
・2005年 2月5日(土)14時08分40秒
2月3日の節分おやじのみ会では、お世話になりました。
TAMAさん、写真アップご苦労様です。
8名もの人数と、初めての女性軍団の参加もあり、久しぶりの 参加もあり、
楽しめました。
でも、この年になると、身内の方の 死やリストラ等々、色々な事が
ありますよね。
そういうものも 飲み込んだお酒の味でした。
文ちゃん、幹事さんご苦労様でした。
当日、私は早く浜松町に着いたので、芝大神宮の参道脇にある 「ひじり亭」
で、鹿児島の芋焼酎で、一人おやじのみ会をしました。
二次会は、座れる処という女性軍団の声に押され、「一力」に しましたが、
秋田屋の通りを南に100m位の「名酒センター」にも 入ってみたかったです。
店の前を通って様子を見たら、おやじ 数人が静かに日本酒を立飲みして
いて、ガラス越しに見ていたら、 店の人に「どうぞ〜」と、声をかけられました。
しかし、その お誘いを振り切って、秋田屋に向かった次第です。
今月と来月は、テント泊で八ヶ岳に行き、冬の寒さと強風に耐えられるよう
トレーニングをして来る予定です。
昨日地元の飲み屋で、よく会うお客さん(♀)に、今度冬山行くん だぁ〜
みたいな事言ったら、「桑ちゃん好きだから、無事戻って来てね」 とか
「桑ちゃんの事心配してるよ」とか言われました。
そこで、私は「山男には惚れるなよぉ〜!」って言いましたとさ。(笑)
では、次回のおやじのみ会ででも。
・2005年 4月17日(日)17時52分37秒
(福生の田村酒造の見学記です。)
昨日、おやじのみ会が挙行されました。
参加は、まだない氏夫妻と、まだない氏の学友であるうわべ氏夫妻、
途中参加のオーム氏とヒゲオヤジの6名。
青梅線の福生駅で待ち合わせ、福生市にある嘉泉の醸造元、田村酒造見学
に行きました。
まだない氏の知り合いが田村酒造の役員とかで 特別待遇でした。
まだない氏、ありがとね。
杜氏の親方の案内で、酒蔵を見学しました。
日本酒は非常に手間が かかっているものだと認識しました。
まだない氏とうわべ氏は、さすが化学科出身です。
キラー酵母とか 比重計とか、専門的な質問が出て、杜氏の親方も感心して
いました。
普段見学できない大吟醸の酒蔵や、社長宅の庭も拝見する事が出来ました。
樹齢500年〜700年と言う欅が見事でした。
最後は、駆けつけたオーム氏も加わり、まぼろしの酒「嘉泉」の試飲をしました。
田村酒造を後にし、隣駅の羽村まで、玉川上水沿いの桜並木をウォーキング。
玉川兄弟の銅像や玉川上水取水口を見、玉川上水の歴史に思いを馳せました。
「嘉泉(かせん)」の次は、「赤線」とばかりに、福生の旧赤線街の小料理屋で
反省会と打ち上げを行いました。
オーム氏は残念ながら、帰宅の途に。
さらに、まだない氏と私の二人で、福生の居酒屋で再度打ち上げをしました。
酒造見学で知識を得、ウォーキングで体力を得、飲み会で徳を養い、
「知・体・徳」 三拍子揃った、品格のあるおやじのみ会でした。
かの「観楼会」に勝るとも 劣らない品格でした。
・2005年7月9日(土)12時19分07秒
(新橋も詳しかったんですねぇー)
ふるふる氏とまだない氏との、書き込み時刻の差が31分24秒とは! 妙に
感激しちゃいました。
新橋は私のテリトリーと言うことではないのですが、愛読書が 平凡パンチ
だったと言う長沢氏向けの飲み屋としては、
@「豚娘」 港区新橋
全員が活気ある女性スタッフの立飲みです。列車のイメージで、
網棚・車窓がある店内。場所が分からず、随分と新橋の街を
さまよった記憶があります。
A立喰酒場「BUCHI」 渋谷区神泉
全員が女性スタッフで、女将さんがソムリエの資格を持ってるとか。
日本酒ワンカップが10種類以上ある。立飲みですが、女性にも
入りやすく、40%〜50%は女性客とか。まだ行った事がないのですが、
今度出張の帰りに、下見をして来ようと思っていますが。
B博多もつ鍋焼酎酒場「もつ福」 港区西新橋
ここは、女性スタッフと言う訳ではないのですが、一度行ってみたい
店です。
以上詳しくは、
ttp://www.foodrink.co.jp/next-vogue/200408/040815.html
あたりでも参照してください。
・2005年7月20日(水)21時28分31秒
(八ヶ岳/赤岳 山岳紀行です。)
『コマクサと星空と酒と温泉を楽しむ八ヶ岳』
行って来ました、おやじ二人の八ヶ岳縦走。
まだない氏とヒゲオヤジのおやじ二人組。
7月16日(土)
八王子駅にて、まだない氏と待ち合わせて、スーパーあずさにて茅野駅で下車。
美濃戸口のバス停から10:30歩き始めた。
途中、小雨に降られたが、約4時間で今日の目的地、行者小屋着。
早速、まだない氏が今回の山行の為に買った、おニューのモンベル製テントを張る。
夕食は、小屋そばのテーブルにて、スパゲティーのアルデンテを作る。
他には、 オニオンスープ、鳥唐揚、ほたてバター焼き、アスパラ。
飲み物は、赤ワイン。
隣のテーブルの女性ツアー客から、「あら、アルデンテですって、すごいわね〜!」
との賞賛の声を浴びながら、時折ガスの切れ目から顔を覗かせる、赤岳、横岳を
眺め、 優雅な食事を取る。
7月17日(日)
5時起床で、また小屋そばのテーブルにて、朝食。
出発準備をしているところに、 37人のツアー客が到着。
若い娘さんとお母さんと言葉を交わす。
昨夜は、赤岳鉱泉小屋 に泊まり、今日は、阿弥陀岳から赤岳、横岳を登り、
硫黄岳山荘に泊まるとの事。
我々も今日は硫黄岳山荘泊まりという事で、再会を祈ってツアー客を見送り、
7:45我々も赤岳を目指して出発。
重い荷物と、急な階段・梯子の連続で息が上がる。
9:55赤岳山頂到着。
2899mで八ヶ岳最高峰だけあり、富士山、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、
奥秩父など360度の展望。
天気は薄曇り。 頂上で写真を撮る。
赤岳頂上小屋脇で、ランチ。
隣の女性がうずくまっていて、同じパーティーの人から 介抱を受けている。
聞けば、高山病との事。
11:00に出発し、赤岳展望荘を通り過ぎ、いよいよ核心部の横岳の登り。
鎖場と梯子の連続で、緊張する。まさに、北アルプス的な山。
12:30ついに横岳頂上(2829m)着。
しかし、期待した硫黄岳山荘は見えず、もう一つ山を 越さなければならなかった。
14:10硫黄岳山荘着。途中、ウルップ草、コマクサ、 チシマキキョウ等の高山植物
が見事であった。
八ヶ岳は、高山植物の宝庫といわれている。
受付を済ませて、小屋の裏手にある、高山植物園を散策。白花コマクサが珍しい。
硫黄岳山荘では、自炊客は我々入れて、3人。
松茸炊き込みご飯、ポテトサラダ、 にしん昆布巻き、焼き鳥、もろきゅう、鯛の
すまし汁の夕食を作り、談話室で食べていると、 後ろのご夫婦の奥さんから、
「おいしそうな食事ですね〜」と声がかかる。
850円の 生ビールのジョッキを飲み干す。
さらに、まだない氏はワンパックの日本酒も飲んだ。
小屋のトイレに行って、びっくり。真新しい立派な建物で、なんとウォシュレット。
夜、まだない氏は星空を見に行ったとか。
7月18日(月)
4時起床。4:40ご来光を見る。朝食は、ふりかけ、もろきゅう、ポタージュ、海苔。
長野県の天気予報では、日中晴れ、午後に一時雨とのこと。
6:15硫黄岳目指して出発。
幅広の尾根を、ケルンに導かれ、6:40硫黄岳頂上(2760m)着。
快晴の空の下、北アルプス、中央アルプス、南アルプスなど眺めることが出来た。
風と山の緑が気持ちよい。暫くして、37人のツアー客が到着。
広い山頂がにぎやかになる。
7:10夏沢峠目指して下山開始。2400mで樹林帯に入る。
白樺、唐松林の樹林で南アルプス的な山容。 程なく、夏沢ヒュッテがある夏沢峠到着。
登って来た人たちから、きゅうりをご馳走になる。 夏沢峠から、本沢温泉を目指す。
途中、本沢温泉雲上の湯で、まだない氏が足の湯をつかる。 私は手の湯のみ。
標高 2150m日本最高所の露天風呂とか。
露天風呂と言っても川の岸辺の 傾斜地に木枠の湯船があるだけ。
硫黄岳の火口壁を見ながらの開放的な露天風呂。
我々が帰る時に、ちょうど若い女性が一人で来た。
「露天風呂入るのですか?」
「ええ」
「一緒に入りますか?」と提案したが、あえなく断られてしまった。
それにしても、 一人で露天風呂とは、勇気のある女性である。
本沢温泉の建物を過ぎ、尾瀬にあるような木道を通り、10:30しらびそ小屋着。
みどり池のほとりに建ち天狗岳を望む小屋。ここで、ランチを取る。
パン、ジャム、 ポタージュ、ソーセージ、グレープフルーツ。
小屋泊まりのお客さんであろうか、 娘さん連れのお母さんと、汗かいた後のビールの
うまさに話が合う。
小屋の脇に、ウソ鳥とリスを発見する。
11:10しらびそ小屋出発。やや急で足場の悪い下りが続く。
12:30バス停のある稲子湯着。道路の照り返しが暑い暑い。温泉に入り、汗を流す。
あとはお決まりの生ビール。ゴクッゴクッ。うっうまい〜!!!
バスで小海駅まで出て、小海線で八ヶ岳を車窓に見ながら、小淵沢へ。
小淵沢駅から、 臨時のホリデー快速で八王子へ。
途中、ビールが飲みたくなり、まだない氏が甲府駅で 缶ビールの買出しへ。
停車時間40秒にもかかわらず、早業であった。
八王子で、途中下車し、「天狗」で反省会と夕食。生ビール、刺身、ホッケ、ホタルイカ、
焼き鳥、きゅうりなど。食事は、八ヶ岳にちなんで、信州ざるそばと信州そば。
さらに、 香る漬を頼んだが、笑いながら断られた。
(店の女の子が香るという名前であった) 八王子駅で別れ、帰途に着いた。
三日間のおやじ二人旅も終わった。
・2005年8月17日(水)20時04分37秒
(富士山ガイドが、書かれていました。)
(前文、一部省略)
夏休みを利用して、富士山へトレーニングに行って来ました。
8/14の9:10御殿場口を出発し、16:00八合目の赤岩館泊。
8/15 御来光を見て6:20出発。7:50富士山頂上。火口の眺めがすごい。
登山口から計8時間20分。気温は7℃、薄曇り。
下りは登山道を下り、3時間で御殿場口に戻った。
8/16 5:00再び、御殿場口を出発し、11:40赤岩館着。
ここで、 昼食を食べていると、グラグラと地震が。ひょっとして、富士山の 噴火かと
勘違いしてしまいましたが。それにしても、宮城沖の震源でも、 結構揺れました。
13:35 再び、富士山頂上。登山口から8時間35分。気温12℃、小雨。
下りは七合目より、下山道の大砂走りを下って、2時間30分で戻った。
富士登山駅伝でも使われている大砂走りであるが、駅伝のように、 転倒するのも
不思議じゃないコースである。
8/17も3回目に登る予定であったが、さすがに疲れて断念。
今回、トレーニングコースに選んだ御殿場口は、標高が1440mで、 他の登山口より、
約1000m程低く、その分距離が長く人気が無い。
お陰で、夏の富士山の激混みにしては、登山者が数人と静かな 登山コースである。
@河口湖口・吉田口(2300m)…3回。
A須走口(2000m)…2回。
B富士宮口(2400m)…1回。
C御殿場口(1440m)…2回。
これで、全部の登山コースを計8回登った事になります。
私の場合、登りのコースタイムは、
@が6時間30分、Aが7時間30分、 Bが5時間30分、Cが8時間30分です。
富士山に1度も登らない馬鹿、2度登る馬鹿とか言われますが、 8回も登るとは、
ほんと大馬鹿者です。
しかし、富士山はトレーニングにはいいのですが、好きな山では ありません。
溶岩や火山灰地で、石がゴロゴロして殺風景です。
また人が多く、初心者が多いせいか、ゴミが平気で捨てられています。
もし、富士山に登ろうという方がいましたら、須走り口をお勧めします。
登り口が2000mとちょっと低く、少し長いのですが、樹林帯が暫く続くのと、下山は
七合目から砂走りを降りて来れます。
山小屋は、須走り口の太陽館や、御殿場口の赤岩館がお勧めです。
来年迄に、あと10回は御殿場口から登り、トレーニングをするつもりです。
それにしても、疲れるなぁ〜。ハァ〜〜ア!!!
(8月21日にも、富士山の投稿がありました・・ここでは省略)
・2005年10月30日(日)12時37分08秒
(新橋の情報が、詳しく書いてありました。)
うぃっ〜す!ひげおやじです。おやじのみ会の個人部門で、新橋で4軒行きました。
いゃ〜あ、新橋はいいねぇ。ついに、高木酒店デビューもしたし。
その報告を。
@1軒目、立食い寿司の「和田寿司」。 新橋3-17-6。
カウンターのみの立食い寿司屋。ネタが新鮮で、行った時はしめ鯖
(50円)と 中トロ(100円)がサービスで安くなっていました。 注文は、
2種類以上とかで、1種類で頼んだら注意されました。中でも、
サーモンがトロッとして美味しく、絶品でした。シャリが少なめで、食べ
やすい 大きさです。 ビール、しめ鯖、中トロ、サーモン、たこ、と軽く
腹ごしらえして、1150円。
A2軒目、「じゃんけんポン」。 新橋3-19-11。
3〜4人位の立ち席用テーブルが店内に5つ、店外に2つ。カウンタが
7人くらい。 ここは、道の角にある店で、おじさんで混んでいました。
5時開店。 「一の蔵」(600円)、焼き鳥3本セット、いかの一夜干し
(300円)を頼んで、 1400円だったか。
B3軒目、「偶々(たまたま)」。 新橋3-16-6。
桜田公園の西側の通りにある、やや広い店で、立ち飲み用の大テーブル
が真ん中と 両脇にある。女性でも入りやすい明るい雰囲気で、女性が
2人ほど立ち飲み してました。4時開店。 「亀泉」とかいうお酒を頼み、
奥の注文カウンターに並んでいる一品料理を頼み、 ちょうど1000円
でした。支払いを済ませ、お盆を持って、テーブルでグビグビっと。
C4軒目、「高木酒店」。 新橋4-14-3。
ここは、普通の酒屋です。 昔からの酒屋なのでしょう、風格のある店構え
で、 中には神社のお札がたくさん貼ってありました。 店の中央にテーブル
があり、6〜7人位が立ち飲みできます。但し、営業時間が 平日の17:00
〜19:30なので、早く行かないと駄目ですが。 一人、常連さんらしいおじさん
が飲んでいまして、自然と話をしました。 以前も何回か前を通ったのですが、
入る勇気がなくて、なかなか行けなかった店です。 日本酒はコップ一杯が
200円。つまみは吊り下がっている袋に入った乾き物を取ります。 いかくん
を取ったのですが、しめて305円でした。驚異的な安さ!感動しました。
行ったのが、金曜でどこの立ち飲み屋もおじさんで一杯でした。
小さな店がごちゃごちゃし、親父達が立ったり、道にはみ出した ビールケースに
座って、コップ酒やホッピーを飲んでいる、 そんな、おじさんの街新橋が好きに
なりました。
おやじ度としては、C>A>B>@かな。
・2006年 1月1日(日)14時35分18秒
(この占いは、あたったのか?)
2006年、最初の書き込みをゲットしました。シンメイです。
TAMAさん、たがめ博士の奥様、ふるふる氏、良かったですね。
やはり、皆さんが元気で毎日を過ごされているのは、嬉しいものです。
実は、昨年、同じ町内会の飲み友達を(と言っても、私より先輩の方ですが)、
二人も胃癌と白血病で、亡くしてしまいました。
今となっては、お二人と 一緒に飲んだ楽しい思い出が残るだけです。グスン。
ある飲み屋で、占い師の人と同席し、シャレで私の寿命を占って 貰いました。
あと7年の寿命で、最後は安楽死とか。
この「安楽死」 と言うのが気に入っています。
しかも、あと7年生きられるのですから。 7年と言うと、63才。
子供も独立しているし。
私の描くストーリは、 60才で定年後、ヒマラヤへ登山に行き、山で遭難死。
意識の薄れていく中で、 凍死が一番痛くないかな〜と思っていますが。
新年から、縁起でもない話になりましたが、閑話休題。
そのヒマラヤを目指すべく、12/23〜25で八ヶ岳へ冬山のトレーニングに 行って
来ました。
今回は吹雪を体験したくて行ったのですが、運良く(?) 硫黄岳(2760m)登頂の
日は吹雪で、ゴーグル、オーバーズボン、オーバー手袋 と、完全装備でテントを
出たのが、8:10。
樹林帯を登り稜線へ出たのが、10:20。 しかし、風が強過ぎました。
おまけに雪混じりで、いわゆるwhite-out状態。
ゴーグルを付けていても、5m先が見えませんでした。
何とか、オーレン谷 への道標を目印に先に進み、風に耐えて天候の回復を
待ちました。
雲の切れ目から、一瞬日が当たり、硫黄岳の頂上が見えました。
約100mの 登り、時間にして10〜15分位です。
悪天候のためか、頂上には誰もいません。
目印の道標を過ぎ、さらに先に進みましたが、道標も見失い天候も回復する
様子がありません。
上りはまだしも、下りが恐いので、あえなく撤退しました。
テントへ戻ってみると、手がしもやけになり、軽い凍傷にかかっていました。
一人のテントは寂しいものです。周りのテントからは楽しそうな話し声が。
次回は、誰か誘って来たいものです。
・2006年 1月9日(月)15時00分20秒
(山で死ぬことを予見していたのでしょうか・・?)
『八ヶ岳での出会い』
またまた、トレーニングで八ヶ岳に行って来ました。
1/8の10:35 赤岳(2899m)に登頂してきました。
夏に、まだない氏と登って以来、 3回目の赤岳です。天気は薄曇りで、下りの
時に、風が強くなり、 寒さでゴーグルも凍りつき、ちょっと苦労しました。
今回、1日目にジョウゴ沢に氷曝でのアイゼンとピッケルの練習に行きました。
その時に、出会いがありました。
ジョウゴ沢の出合いから10分位登ったところで、下って来た人に、
「すみませ〜ん、初めてで分からないのですが、F1(1番目の滝)は どこですか?」
と声をかけたのがきっかけでした。
F1を教えて貰い、 立ち話をしました。その人は、心臓病の手術を16回もやり、
医者にも 見放され、治療費で貯金も使い果たしたとか。
定年を迎え、山登りを 再開したそうです。
山で心臓病で亡くなっても、自己責任で諦めがつく、という言葉に 一種の潔さ
を感じました。
私は、テントだと危ないので、山小屋へ 泊まるようにしている、という言葉に、
投げやりでない注意深さも 感じました。
持病を持ちながらも、山登りを続ける熱意、パワーとは何なのか? 深く考え
させられました。
その人と別れ、私も山登りに対する情熱を、持ち続けたいと思いながら、高さ
25mのF2へたどり着きました。
そこで、アイゼンとピッケルで 練習をしていると、「これを使いなさい」と先程の
人が、わざわざ戻って来て、氷瀑登攀用のアイスバイルを貸してくれました。
さらに、氷瀑はこうやって登るのだと、手本を見せてくれました。
私も、アイスバイルを使って 見よう見まねで、練習をしました。
終わって、アイスバイルを返し、「有難うございました」と、思わずその人の両手
を握り締めました。
やさしさが有難かったのです。 もう少し遊んでから帰りますから、と そこで
別れました。
その人は山小屋へ 向かって下って行きました。
・2006年 3月23日(木)13時05分11秒
(この時は、かなり危なかったようですね。)
『敗退の八ヶ岳』
3月17日から19日に、まだない氏と、冬の八ヶ岳に行ってきました。
ワンゲル部OB後輩のT氏も入れて、3人の山行でした。
中央線とバスを乗り継いで、歩き始めたのが、11:20。T氏の早いピッチに
遅れないよう頑張って、いつもの赤岳鉱泉小屋に着いたのが、14:50。
早速、 1人用のテントを張り、まだない氏とT氏は、赤岳鉱泉小屋へ。
小屋の人の話では、今週2回雪が降り、70〜80cm積もったとか。小屋の先、
目指す硫黄岳方向や、赤岳に行く行者小屋方向は、踏み跡が全然ありません
でした。
鉱泉小屋を16:00に出発し、ジョウゴ沢出合いまで、3人で新雪をラッセル
しました。
テントに戻り、前回と同じく、豚汁を作りました。ところが、ヘマをしてしまい、
ガスコンロを倒して、豚汁の半分は、テントの床シートへこぼしてしまいました。
慌てて、ガスコンロを起こして、火災は免れました。そして、こぼれた半分の
豚汁も回収しました。入れただし以外に、テントの床シートのだしが効き、
微妙な 豚汁の味でした。トホホホ!
その後、鉱泉小屋の食堂で3人で反省会。持参のワイン、日本酒とつまみ。
若い女性の 単独行の人がいたので、話をしたら、一人で行者小屋途中まで、
ラッセルして来たとか。 明日は、赤岳へ登る予定だとか。我々も、赤岳に
行き先を変更しようか?と、提案 しましたが、二人に却下されてしまいました。
鉱泉小屋は金曜のせいか12名の宿泊 とかで、ひっそりとしていましたが、
我々3人は親父ネタで盛り上がりました。 近くに、その単独行の女性が、
静かに本を読んでいたのが気がかりでしたが…。
翌18日、天候は晴れ。8:00に鉱泉小屋を出発し、3人で先頭を代わりながら、
ラッセルし、硫黄岳(2760m)を目指しました。久々のラッセルで膝上までの雪
でした。 ミッチェル(目印の赤い布)を見落とさぬよう慎重に登りました。
ところが、樹林帯を 抜ける辺りでルートを間違え、2550mの小ピークへ。
その先は、尾根が痩せているし、 11:00で通常の1.5倍の時間がかかった
ので、ここで引き返すことにしました。 そこの斜面が固くなっており、アイゼン
とピッケルを着けました。まだない氏が冬山 初めてと言うことで、雪上訓練
をしました。アイゼン歩行、滑落停止、耐風姿勢…、 さまになってきました。
鉱泉小屋に戻ったのが、12:30。昼飯を食べて、下山するT氏を見送りました。
15:20再び、アイゼンとピッケルを着け、まだない氏と中山展望台へ
向かいました。 鉱泉小屋から40分でしたが、小ピークになっており、阿弥陀岳
〜赤岳〜横岳〜硫黄岳が 一望できました。
眺望を楽しんでいると、天候が崩れてきて、小雪が降り始めました。
小屋へ戻り、小屋の食堂にて、反省会。T氏差し入れの缶ビールが、
冷えていて、 美味しいビールでした。
この日はツアーの団体客が多く、今夜の宿泊は100名とか。
ガヤガヤした賑わいでした。夕食後、再び小屋の談話室にて、反省会。
日本酒(ダイヤ菊) の美味しかったこと。 19日、時々みぞれが降る天気。
テントを撤収し、鉱泉小屋を出発したのが8:00。 バス停に着いたのが10:15。
予定していたバスより1本早いバスで、茅野駅に戻りました。 駅前の
ラーメン屋で、生ジョッキで反省会。二人とも、「八ヶ岳ラーメン」を食べ、
ダイヤ菊酒造の見学に向かいました。団体客の後、試飲をし、まだない氏は
お土産用の 生一本を、私は車中用の本醸造を買いました。ダイヤ菊酒造さん
のご好意で、つまみ用の 自家製野沢菜をサービスして貰いました。
小淵沢から高尾行きの電車に乗り換え、車中で反省会。つまみはいただいた
野沢菜や、 非常食のチーズ、サラミなど。本醸造が効いてきたのか、
気がついたら、高尾駅でした。 甲府折り返しの電車でしたので、慌てて、荷物を
まとめ、高尾駅に降りました。
帰宅してから、阿弥陀岳、仙の倉山、谷川岳での遭難事故のニュースを
やっていました。 特に、阿弥陀岳で男女3人が凍死した事故は、18日に
赤岳鉱泉小屋で会っていたかも 知れない人たちであり、心痛ましく思います。
改めて、冬山の怖さと厳しさを感じました。 新聞によると、所属する山岳会
の代表は、「山が大好きな3人だった」と、仲間を思い 浮かべるように話した。
「万全の装備・食料で臨んだが、思いもよらない天候。最後は自然 に
勝てなかった」と声を震わせたそうです。
・2006年 4月15日(土)11時52分59秒
(飲んだ時の話題についての考察・・・)
まだない氏へ>
酒を飲む口実にはしていませんよぅ〜。ただ、私は月・水・金曜は 飲んでも
いい日と決めてますので、TPOはわきまえてるつもりですが。
事実、私の前回の書き込み時間15:05は会社の10分間の休み時間ですしね。
ふるふる氏へ>
そうですね。政治と宗教は、酒の肴にはなりませんね。よく、飲み屋で 政治や
宗教を、口角泡をとばして議論している姿を見ると、酒がまずく なりますよね。
「団塊の世代」か〜、本当にどこに行っちゃったんでしょう? 新聞の特集記事
に、「団塊の世代は広げる世代である」という記事がありました。
抜粋しますと、 『団塊世代は、物心つく頃から青春期にかけて、ジーンズや
ロックなど、欧米から 新しい文化の洗礼を次々に受けた。
その結果、新しいものに抵抗感がなく、むしろ、 前向きに自分の生活に
取り入れる体質になった、と考えられる。また、その体験から、 生活を楽しむ
スピリットを身につける。
団塊世代とは、このように外に拡大・拡散するいくつかの強いベクトルを持った
「広げる世代」である、ととらえることができる。
一方、戦後本格化した民主主義教育を受けた世代である団塊世代は、「女性は、
子供ができても、仕事は続けるべきだ」と答える男性が多いなど、「個人が望む
生き方 が、すべてに優先されるべきだ」と考える「自分軸の人」でもある。
彼らの個人主義は、 リタイアした瞬間、再び解放され、より自分らしく生きよう
と求める。』
団塊の世代は、「戦後の民主主義教育を受けた世代」であるはずなのに。
民主主義の中でも、自由に意見を言える、自由に行動できるという事が大事
であると、考えます。(自由=勝手と誤解されると困りますが)
小石川に入って、びっくりした事がありました。
朝礼の時に外に出なくても いいし、きちんと並ばなくてもいい、と言う事です。
中学校時代は厳しい 中学でしたから、朝礼で話をしていると、先生の鉄拳が
飛んできます。
まして、朝礼に出ないなんて、とんでも無いことでした。
小石川って、 ほんとに自由な高校なんだなぁ〜と、感心したものです。
でも、都教委のこう言った誤った指導・通達により、今はどうなって いる
のでしょう?
委員の一人は、慎太郎の大学の同級生だそうです。 「右向け〜右!」と
言われた時に、右を向かない人、左を向く人、座り込む人、 こう言った人達は、
偉いと思います。
あ〜ぁ、なんだかね〜。今日も飲むぞぅ〜!おっと、今日は土曜日だ。
・2006年 6月28日(水)22時36分31秒
(少し 小説風になっていました・・・。)
『出会いの富士山』
梅雨の晴れ間をぬって、ワンゲル部OB会8年後輩のT君と、6/24(土)〜25(日)
富士山に行って来た。
JRの駅出口で待ち合わせ、車で吉田口5合目に着いたのが10:30。
休憩所で早い昼食を 食べ、11:00出発。
途中、何本か休憩を取り、8合目の山小屋に着いたのが14:00。
昨日の天気予報では、富士五湖地方は、降水確率70%でしたが、晴れていて、
山小屋では 布団を干していた。
部屋に荷物を置き、小屋で買った缶ビールと、T君持参のウィスキーで、外で反省会。
下界は雲に覆われていましたが、5合目以上は晴れていて、3200mの高さを実感
しました。
小屋は、一部屋に1グループという空きようで、広々とした部屋で一眠り。
やがて夕食の時間になり、食堂に移動。
3人の男女グループと、若い外人の女性1人と、 同じく若い日本人の女性1人と、
我々2人で、計7人という夏場なら考えられない 空きようだった。
夕食はカレーと聞いていたが、トンカツとはるさめのサラダと和え物 と味噌汁だった。
缶ビールで乾杯し食べ始めた。
隣のテーブルでは、日本人女性がガスコンロで食事を 作っている。
山慣れた感じがした。
やがて、食べ終わり、隣のテーブルの女性と話をした。
今年の夏に、モンブランに登る為に、富士山にトレーニングに来たとか。
さっき頂上まで往復し、明日も頂上に登り、お鉢巡りをするとか。
外人の女性は、米国ミネソタ州出身で、韓国で英語を教えてるそうだ。
ハイキングが 趣味で、三つ峠に登る予定が、途中熊のにおいがしたので、富士山に
変更したとか。
ミネソタ州では、よく熊が出るので、父親から熊の臭いを教わってるそうです。
7時に就寝。何回か目が覚めた。さすが3200mで酸素が薄いので、腹式呼吸をした。
1:30起床。ヘッドランプを点け、2:00出発。
気温4℃で風が吹いているが、雨が降ら ないだけ幸運である。3本で3:50頂上着。
頂上の小屋の石垣の陰で風を避け、暗い中、 ご来光を待つ。
8合目の小屋で一緒だった日本人の女性も到着。
風が強い為、オーバーズボンを着け出した。
彼女も風を避けるため、小屋の石垣の陰に来て、隣に並んだ。
「富士山は何回目なんですか?」彼女が尋ねてくる。
「今日で、10回目です」 「すっご〜い!」 「寄って行っていいかしら?」「いいですよ」
オーバーズボンを着ても寒いせいか、彼女が体を寄せて来た。
やがて、周りが明るくなりだし、4:30ご来光。
外人の団体が大きなフランス国旗を 取り出し、朝日に向かって振っている。
ご来光の写真を撮った。
すっかり明るくなり、4:50にお鉢巡りに出発。
吉田口頂上から須走口頂上、御殿場口頂上、 富士宮口頂上と過ぎ、剣が峰の
測候所跡を目指した。
3776mの最高地点到着。
測候所の鉄塔をビレイポイントにし、岩登りのトレーニングをしているパーティーが
いた。 何と、4年後輩のO君と6年後輩のS君がいた。
富士山の剣が峰でワンゲルOB が4人集まったわけである。
彼らは 夏にヒマラヤ8000m峰に遠征する為、高所で岩登りの トレーニングを
やりに来たそうである。
やがて、神奈川県高体連の20人位のパーティーも到着し、急に賑やかになった。
59回目の富士山清掃登山だそうである。
遠征の成功と無事を祈って握手をして、O君とS君と別れ、吉田口頂上を目指す。
途中、南アルプスの絶景ポイントがあり、彼女と再び一緒になった。
仙丈岳、塩見岳、 聖岳・・・と、T君が彼女に説明。
T君は、夏合宿で、南アルプス南部の加加森岳を登ったとか。
6:15に吉田口頂上に戻り、下山開始。山小屋に戻った所で、軽く朝食。
少し遅れて、 彼女も山小屋に到着。
「足、さわっていいかしら?」「いいですよ」 「かっ、固〜い!」 彼女は、山小屋で
食事をしていくと言う。
「じゃあ、モンブラン気をつけて!」 ここで、彼女と別れた。
膝がガクガクしたが、なんとか堪えて、8:45に5合目に着いた。
二人でアイスクリーム を食べ、車で帰途に着いた。
・2006年 8月27日(日)12時55分48秒
(やはり、今回も 命がけで行ったのでしょうね・・・)
ワンゲル部OBの後輩が、ヒマラヤにある8000m峰の山へ遠征していました。
ところが、第3キャンプから第2キャンプへ下降中に、急斜面で滑落しました。
遠征隊は、登山を中止し、一週間ほど捜索したが発見できなかったそうです。
遠征隊は、先週、帰国したそうです。 彼とはワンゲル部時代一緒に山に行ったことは
無かったのですが、 6月に富士山に登った時に、頂上で偶然会い、遠征の成功と無事
を祈って、 握手して別れたのですが、残念でなりません。
高校の先生をやっていまして、関係する掲示板には、その高校の 女子生徒でしょうか、
「先生だいすき」というタイトルで、「先生をはやく みつけてあげてください。 どうか1日
もはやく。」という書き込みがありました。
目頭が熱くなりました。 ほんと、人の一生なんて分かりませんね〜。
□おやじのみ会のお知らせ
・2006年9月2日(土)15時37分15秒
(秋葉原も、良く調べてありました・・・。)
ふるふる氏の快気祝いとして、9月15日(金)に秋葉原で「おやじのみ会」を行います。
一部の方には連絡し5名参加予定です。他に参加希望の方がいましたら、集合場所・
時刻を、シンメイ宛に問い合わせください。
さて、先日、その秋葉原の下見に行きました。そのご報告を。
@百飲
昭和通りに面したラーメン屋の2階にある立ち飲み。奥にある狭い階段を登っていくと、
入口のドアがあります。
お盆を取り、飲み物を注文し、好きなつまみを取ります。
キャッシュオンデリバリーで、飲み物と食べ物がオール 100円。
ただし、生ジョッキだけは200円。 200円払い、生ジョッキを受け取りました。
煮込みがあり、「いくらですか?」と思わず 聞いたら、「100円です」との答え。
「どれでも100円」、「いつでも100円」の貼り紙が ありましたが。
A万世橋酒場
万世橋のたもと、「肉の万世」の1階にある立ち飲み。細長い店で、奥の方からつめます。
ワンコインセットと言うのがあり、生ビールかホッピーと串揚げ 1本で、500円です。
ホッピーとウィンナー串揚げの、ワンコインセットを頼みました。
その後、ホッピー 中味とイカと玉葱の串揚げを追加。
B赤津加
秋葉原で53年の老舗。
電気街の真ん中にこんな店があったとは、40数年前には電気街に 良く来ていたのですが、
気がつきませんでした。 黒塀の店構えで、風情があります。
ここは立ち飲みではないのですが、カウンターやテーブル席や座敷が一杯でした。
カウンターの端に座り、生ビール530円と 枝豆650円とたこぶつ800円を注文。
隣の席 のお客さんが常連さんらしく、女将さんが時々席に座り隣のお客さんと話して
いきます。 「ここのお店は、長いんですか?」とそのお客さんに尋ねました。
53年やっていて、そのお客さんは40年通っているそうです。
内緒だよと、女将さんは85歳と教えてくれ ました。
「え〜っ、見えないですね。65歳位かなと思ってました」
店は女性5人位で 切り盛りしています。
その中で、女将さんに似ている人に「娘さん ですか?」 と聞いたら、「そうです」との事。
もしかしたら、一番若い人は、お孫さんかも?
お酒は、菊正宗のみ。1合の量り売りで、漏斗と枡を使って徳利に入れるのですが、
手さばきが独特で見とれてしまいました。
菊正宗の燗を飲み、大きな熊手や神棚を見ていると、甘口のお酒とともに、昔に帰った
ように、ホワァ〜 とした気分になります。
Cおかめ
総武線のガード下の立ち飲み。
本当は最初に行く予定でしたが、3回行っても 閉まって いました。
昔のロックファンの集まる店です。
若い人は、外の立ち飲み席、年配の人は 中の立ち飲み席とかいう不文律があるそうです。
生ビールと、焼き鳥と煮込みを頼み ました。
店内には、ロックコンサートのチケットの半券が貼られています。
7月1日6:30開演/ 日本武道館という、あの有名な ビートルズのチケットもありました。
[おまけ]
路地裏で面白い店を見つけました。
1階がシャッターが閉まっており、「OPEN」 という 看板に沿って脇道を入ると、小さな
格子戸があり、2階への階段がありました。
「・・・・BAR」(・・・部は失念)という店ですが、怖くて2階へは行けませんでした。
同じく路地裏に隣り合う2軒の立飲み屋がありました。
1軒は「おかあさん」、もう1軒は 「おかげさん」。
でも、おかげさんって、何者なんでしょうか?
駅前で、メイド服姿の女性がいました。
「写真撮っていいですか?」と聞くと、 駄目とのことで、写真には撮れませんでした。
でも、さすが秋葉原です。
・2006年 12月12日(火)23時52分22秒
(雪の富士山にも 登っていたのですね。)
その富士山に、12/9〜10日、雪上訓練に行って来ました。
まだない氏が仕事で行けないと言うことで、私だけが 某ツアー会社に申し込み、
行って来ました。
1日目は雨。富士スバルラインは4合目迄しか行けない と言うことで、吉田口
の馬返し迄車で、後は歩いて2時間で 5合目の佐藤小屋泊まり。
翌2日目、6合目半位から積雪になり、7合目辺りまで登り、 白くなった雪上
で訓練。
キックステップ、アイゼン歩行、滑落停止・・・等。 久しぶりの、雪の感触でした。
上を見上げると、白い雪面と頂上付近の雪煙。
下を見ると、 河口湖や山中湖。凛とした冬の美しさがありました。
雪上訓練では、普段使わない筋肉を使ったため、まだ体中が 痛い状態です。
2007年 3月13日(火)20時45分45秒
(この頃から、冬山の記述が多くなります。)
『冬の阿弥陀岳北稜』
冬のバリエーション・ルート初挑戦、ということで八ヶ岳の阿弥陀岳北稜に
行って来ました。3/11〜12日の、ガイドさん主催のツアー山行に参加。
結果は敗退でしたが、そのご報告を。
3/11 8:23茅野駅着。8:30発のバスに乗り、9:20美濃戸口着。
軽く準備体操をして、靴紐を締めなおし、9:35歩き始めた。
今年は暖冬で雪が少ない、と聞いていたが、前日の雪で15cm程の積雪。
今回は、赤岳鉱泉小屋泊まりで荷物が軽いため、快調にとばした。
ところが、小屋手前の樹林帯へ入る頃から、ペースダウン。始発電車に
乗るため早起きし、寝不足のため、眠くなって来た。眠気を何とかこらえて、
12:40小屋着。バス停から小屋迄3時間は、自己新記録である。因みに、
去年の3月、まだない氏とワンゲル部後輩と来た時は、3時間30分かかった。
小屋で受付を済ませ、ガイドさんと会った。大部屋で仮眠を取り、2時から、
小屋の脇の人工氷壁で、アイスクライミングの講習を受けた。
高さが約20mで、ほぼ垂直の氷の塔である。アイゼンの使い方、アイスバイルの
使い方を教わる。ザイルで確保して貰い、氷壁挑戦。やっと、3回目で20mの
高さへ到達することが出来た。さらに、ザイル1本での20mからの懸垂下降。
ガイドさんから、明日の北稜OKのお墨付きを貰う。
小屋は日曜のせいか、約20人ほどの宿泊客で、空いていた。夕食は、
ビーフシチューにサラダと豚汁、デザートがりんごとキウイがついた。
ガイドさんと、ビールを飲みながら、色々と山の話をする。9時就寝。
3/12 6:00起床。6:30から朝食。さんまの干物と納豆と漬物。
外を見ると、風が強く天気が悪い。ガイドさんから、どうするか尋ねられる。
一応、行くだけ行きましょうか、と答えるが、内心不安。と言うのは、昨日、
北稜を登ってきた女性2人の話を聞くと、北稜よりも阿弥陀岳からの下りが風が
強く、吹き飛ばされそうになり、匍匐前進をしたとか。要するに、はって歩いたと
いうことである。しかも、今日の方が風が強い。
目出し帽にヘルメット、オーバーズボンにスパッツ、厚手の手袋にオーバー手袋、
ハーネス(安全ベルト)とアイゼンを付け、アイスバイルを持ち、冬山の完全装備。
8:00出発。気温−15℃。樹林帯を登り、約1時間ほどで、無人の行者小屋着。
阿弥陀岳を見ると、頂上には雪煙が舞い、風が相当強い。ガイドさんが、再び
どうするか尋ねてくる。ガイドさんの判断にお任せします、と答える。そして、
ガイドさんの判断により、引き返すことに決定。他のパーティーも皆引き返して行く。
赤岳鉱泉小屋に戻り、暖かい小屋の中で持って来たあんぱんと羊羹で、昼食。
10:30に小屋を出て、11:30に駐車場着。ガイドさんの車に同乗し、小淵沢駅まで
送って貰った。
今回、結果としては北稜には登ることが出来ませんでした。しかし、私でも20mの
氷壁を登ることができ、ガイドさんからお墨付きを貰えたと言うことが、自信に
なりました。また機会があれば、北稜に挑戦するつもりです。
「山は無くならないからさっ!!!」
・2007年3月15日(木)09時55分10秒
(2007年の計画〜アコンカグア でした。)
サッチー様:
は〜〜い! クラス会は、3/21までにメールで返事しますね。
因みに、今年の山行予定を書きますと、
3月 阿弥陀岳(2805m)北稜……冬のバリエーション・ルート再挑戦。
赤岳(2899m) ……冬山ピストン
4月 白馬岳(2932m)主稜 ……冬のバリエーション・ルート
西穂高岳(2909m) ……冬山ピストン
5月 奥穂高岳(3190m) ……春山
6月 富士山(3776m)トレーニング
7月 白根三山縦走 《北岳(3193m)−間ノ岳(3189m)−農鳥岳(3026m)》
……まだない氏と夏山山行
富士山トレーニング
8月〜11月 富士山トレーニング おっと、11月は秋のクラス会!!!
12月〜'08年1月 南米大陸最高峰アコンカグア山(6962m)
まさしく、「馬鹿と煙は、高いところが好き」の例えどおりですね。(笑)
・・・これ以降、山のレポートが続きます・・・・
(内容は、省略しました・・日付けは投稿日です。)
2007年4月8日(日)
3/11〜12のリベンジとして、3/21に、再度阿弥陀岳北稜に挑戦
3/31〜4/1に、赤岳 (以下 省略)
2007年5月9日(水)22時58分39秒
『西穂高単独行』
GWの休みを利用し、5/2〜5/3に北アルプスの西穂高に、単独で
行って来ました。 (以下 省略)
2007年7月3日(火)23時07分03秒
『山開き前日の富士山』
山開き前日の6月30日、まだない氏と富士山に行って来ました。
(以下 省略)
2007年8月5日(日)
18時54分25秒 台風4号の影響で、登山口迄のバスが不通になり、
一週間延期をした南アルプスの 白根三山を、まだない氏と二人で
縦走して来ました。
『おじさん達の白根三山』(その1〜3)・・3部作です。(省略)
2007年 9月20日(木)22時29分53秒
『富士山トレーニング』
日曜に、今夏5回目の富士山トレーニングに行って来ました。
計15回目の富士山登頂になります。 (以下 省略)
2007年 9月24日(月)21時47分07秒
『富士山トレーニング(その2)』
23日の日曜日、今夏6回目の富士山トレーニングに行って来ました。
計16回目の富士山登頂になります。 (以下 省略)
2007年 10月8日(月)14時35分13秒
『富士山トレーニング(その3)』
7日の日曜日、今夏7回目の富士山トレーニングに行って来ました。
計17回目の富士山登頂になります。 (以下 省略)
・2008/02/23(Sat) 10:22
(ここから、画像も追加されました。アコンカグア報告です。)
TAMAさん、HPのリニューアルお疲れ様です。写真がUPされ、バックの
クロッカス(?)の花もきれいですね。・・ (中略)・・
画像が投稿できるようになったと言う事で、私も画像を投稿してみます。
12月〜1月に、アルゼンチンにある南米大陸最高峰 アコンカグア山(6962m)
に無事登頂してきました。
第3キャンプ(5950m)にテントを張り、1回目の頂上アタックは、現地ガイドの
天候判断で、途中で断念。 2回目の頂上アタックは、アコンカグア名物の風が
強くなく、天気も快晴。 絶好の登山日和でした。
3回呼吸し1歩を踏み出すという、超スローペースで少しずつ高度を稼ぎ、
10時間半の登りの末、やっと頂上に着く。 気温は-18℃。
頂上には、十字架があるだけの、質素な頂上であったが、周りを見渡しても
ここより高い山がない、という爽快感。
圧倒的な迫力のある、アコンカグア南壁(右後ろに見える壁)。
下りは4時間で第3キャンプに辿り着きました。
翌日はテントが飛ばされそうな強風で、前日の頂上アタックは幸運でした。
・2008/03/26(Wed) 23:01
先日、まだない氏と白銀の西穂高岳独標に行って来ました。
(以下 中略)
独標をバックに、おやじ二人の写真を撮る。
独標に登っている人達もいたが、我々は安全を考えて、手前で引き返した。
途中、珍しい白い冬毛の番いの雷鳥を見かけた。アイゼンの練習をやりながら、
斜面を下る。まだない氏も、冬山に大分慣れてきて、足取りがしっかりしてきた。
約1時間30分で、山荘に戻る。
少し休憩を取り、ロープウェイ駅迄、まだない氏を見送って行った。
ロープウェイ駅でまだない氏と別れ、山荘へ戻る途中、明日のガイドさんに会う。
山荘では、ガイドさんとビールを飲みながら、山の話をした。
3月23日。ガイドさんとザイルを結んで、独標を越え、西穂高岳(2909m)に登った。
2時間30分。頂上で写真を撮り、緊張しながら下る。1時間40分で山荘に戻り、
荷物を詰めなおして、ロープウェイ駅に向かう。
久しぶりに、快晴の冬山を堪能しました。
・2008/05/18(Sun) 14:27
(神楽坂で、本領発揮 です。)
『神楽坂でのおやじのみ会』
一度、神楽坂に行きたかった。先日都心出張の折、まだない氏に声をかけ、
神楽坂を案内してもらい、急遽おやじのみ会をして来ました。
待ち合わせの時間までまだ時間があった。 一人で神楽坂を見て回る。
飯田橋駅を出て、軽子坂を登る。坂の中程で脇に入り、迷路のように
入り組んだ、かくれんぼ横丁に入る。
老舗の料亭であろうか店の前で着物姿の若女将風の女性が打ち水を
している。「この先は、行き止まりですか?」と尋ねると、「ええ、行き止まり
ですよ」との返事。軽子坂に戻り、芸者新道を辿る。階段がある石畳の
小道で、芸者さんが料亭から料亭に移動するときに、抜け道として使った
ことから、名が付いたとか。
広い本多横丁に抜け、再び軽子坂に戻り、石畳と階段と黒塀の兵庫横丁へ。
両脇には料亭が並ぶ風情のある路地で、気に入った横丁である。狭い横丁を
抜け、表通りの神楽坂通りに出る。目の前には、毘沙門天があり、お参りを
して行く。境内では、お参りの供花であろうか、花を売る店が。
その後、神楽坂通りの今までと反対側の地蔵坂へ。豪族・牛込氏の城跡
である光照寺に向かう。光照寺は眺めが開けたお寺である。墓地には、
古めかしい大きな墓石が5つほどあった。墓碑を読むと、「院殿」「大居士」
などの文字があり、高貴な人のお墓であろうか。静かな雰囲気のお寺で、
兵庫坂と共に、今回の散策で気に入った場所である。
まだない氏との待ち合わせ場所に向かう。
二人でのおやじのみ会の始まりである。1軒目は、まだない氏に案内して
頂いた「伊勢藤」へ。縄暖簾がかかり、古民家風の風情のある作りでレトロ
な昭和の雰囲気である。丸太の椅子席に座る。奥には座敷がある。
ここは、ビールや焼酎などが無く、清酒「白鷹」のみである。
「お燗になさいますか?」店の亭主が尋ねてくる。二人ともお燗を頼む。
椅子席が取り囲む中に囲炉裏があり、亭主が正座し炭火でお燗をつけている。
付け出しが一汁四菜出てくる。ぬるめの燗で、酒の味が腹に沁みる。
まだない氏はいかの黒作り、私はくさやを注文する。いずれも、燗酒に合う
料理であった。
亭主に聞くと、お店は72年やっていて、三代目とか。この店は、大声で
話していると注意されると言う噂を聞いていたので、二人とも小声で話題を
選び、品格のある飲み方をしました。
4合飲み勘定をしてもらう。トイレに行ったまだない氏から、ぜひトイレを
見てくるように、との事で私もトイレに。レトロな懐かしいトイレであった。
かの秋葉原の「赤津加」に勝るとも劣らない、雰囲気のある飲み屋であった。
まだない氏有難とね!
神楽坂通りへ出ると、これからお座敷に行く芸者さん3人に会う。
さすが、神楽坂である。
2軒目は、散策の折、目星を付けておいた「焼酎屋 写楽」へ行く。
途中、銭湯があるからと案内してもらう。「熱海湯」と言う銭湯に行くと、
珍しいのか、前で写真を撮っている若い女性二人組みがいた。
まだない氏が話しかける。
上海と韓国の留学生とか。「我々も、今度上海行くんですよ」と中国語で
言ったが、通じたかどうか?まだない氏も韓国語で話しかける。
これって、ナンパ?
大きな赤提灯がある「焼酎屋 写楽」に入る。正解であった。人気店らしく
店は満員状態。二人でホッピーを頼む。因みに、私が始めてホッピーを飲ん
だのは、まだない氏に教えられてであった。
3軒目はスナック風の「坂の上の2階」と言う店へ行く。ここは、地元の
店のママさんに、今度神楽坂に行くんだ〜と言ったら、紹介して貰った店
である。ウィスキーの水割りを飲み、カラオケを歌う。
日高屋でつけ麺を食べ腹ごしらえをして、さぁ〜帰ろうという時になり、
まだない氏から市谷駅まで歩いて行こうと拉致され、仕方なく夜道を
付き合う羽目に。
神田川沿いの道のせいか、途中、アベックや近くの大学の学生達の
コンパに会う。
路地裏や見番や、あの独特の雰囲気のある神楽坂が気に入りました。
また行ってみようかなと。
夏休み絵日記(1日目)
・2008/08/17(Sun) 13:29
(北海道へ、車で? 一人旅をしていました。)
![]() |
昨夜18:30大洗発のフェリーで、苫小牧に向かう。 車で気ままな北海道一人旅です。 今朝4:55朝日を撮りました。山での朝日はよく 見ますが、海での水平線からの朝日は、久しぶりです。 1万3千トンのフェリーなので、ほとんど揺れません。 学生時代5千トンの貨物船で、香港とボルネオに 行った時とは雲泥の差です。 13:30に苫小牧に着く予定で、帯広や釧路方面に 行くつもりです。 |
![]() |
今朝8:30に日高町の温泉宿を出て、帯広市に向かい ました。 途中の日勝峠はガスっていて、残念ながら見晴らし 効かず。 帯広から南に進み、幸福駅跡に行きました。 E組の皆さんが幸福になりますようにと、幸福駅の 写真を撮って来ました。 今日は、帯広市岩内町(山間地です)の岩内自然の 村と言う廃校跡にテント泊です。 |
![]() |
昨夜小雨の中、テントを撤収。 帯広市内のおびひろ動物園内にある植村直己さん の記念館「氷雪の家」(添付写真)に行き、マッキンリー 遭難時ベースキャンプに残されていたものや、記念品 を見る。 その後、太平洋岸をたどり白糠町へ。 釧路湿原は断念し、帯広へ戻る。 |
![]() |
今日は、帯広から日高山脈を越え浦河町に抜け、 浦河町立郷土博物館に行く。 浦河町から海岸線を通り、新冠町でナリタブライアン 記念館へ行きました。 襟裳岬へも行きたかったのですが、時間がかかる ので、諦めました。 後はひたすら走り、苫小牧のフェリーターミナルに 14:40無事着きました。 |
![]() |
昨年12月29日に、娘から「お父さん、 どこか山へ連れて行って」と、言われ、 山梨県市川三郷町にある蛾ケ岳 (ひるがたけ)1279mに行って来ました。 四尾連湖(しびれこ)迄車で入り、 歩いて1時間30分で頂上です。 見晴らしの良い頂上で、富士山、 南アルプス、八ヶ岳等の山々と、 甲府盆地が一望できます。 |
![]() |
還暦ハイクに還暦記念発表会と、還暦の イベント 楽しみですね。 また、山行の報告になりますが…。 3月14日〜15日に、八ヶ岳の赤岳主稜へ 行ってきました。 岩と雪がミックスした登攀要素の強い、 バリエーションルートです。 15日6時に、赤岳鉱泉小屋を出発し、 行者小屋を経由して、文三郎道を登る。 途中で、安全ベルトを付け、ガイドさんと ロープを結ぶ。 |
![]() |
6月24日〜28日にまだない氏と3人で、 北海道の大雪山系に行って来ました。 6月26日に、まだない氏と2人で、 白雲岳避難小屋から忠別岳(1963m)を ピストンし、忠別岳頂上から、大雪山系 のトムラウシ山を眺めることができました。 写真の奥のギザギザの山がトムラウシ山 (2141m)、手前が化雲岳(1954m)です。 |
![]() |
先日、かみさんが図書館から、「定年オヤジのしつけ方」 (小川有里著)を借りてきました。 あぁ〜あ、“オヤジ”かぁ〜!どういう風にしつけられる のか? 私も、読んでみました。 『私はなぜ、自立夫育てをしたか。 それは、離婚するつもりがなかったからである。 離婚しないつもりなら、なるべくいい関係で暮らした ほうが楽しいに決まっている。 そのためには、オジサン・ごろごろする人、私・世話 する人、のままではまったく楽しくもなく、いい関係 にはならない、と強く思ったからである。 こうした体験から、私は定年後夫を持つ妻たちに、 謹んで夫育ての十五条を提言したい。 |